ガラス張りのテストキッチンを兼ね備えた肉切り場は、元々イタリアンレストランという場所。自社発信のプロモーションや撮影も行い、いわゆる「肉屋さん」のイメージとは大きく異なる。京都で食肉の加工・卸販売を行う会社のニ代目である佐藤氏は、異業種から家業に入りEC(電子商取引)販売事業に着手。食肉業界におけるEC販売の可能性に気づく。「肉屋のアトツギ」を意識しつつも、これまでの常識を超える「和牛ギフト」のベンチャー企業を立ち上げた理由や今後の展望を聞いた。
家業にはこだわらず「起業のタネ」を探していた
Q 家業に入るきっかけを教えてください。
A 新型コロナウイルスで家業の売り上げが半分にまで下がったことです。
幼い頃から「肉屋の仕事はしんどい」と言われていたので、絶対にしたくないと思っていました。一方で経営に携わりたいという想いはあって。コンサルティング会社に勤めていた時に新型コロナウイルスが流行し始めました。家業は食肉の卸売りがメイン、新たにネット販売に取り組んで小売りを伸ばす必要があるけれど、インターネットを使える人間が社内にいない。そこで父親にEC販売の事業提案をしました。
Q 「肉屋にはならない」をご自身で覆したわけですね。
A スピード感を持って、自分がやりたい事業を展開できることが何より魅力でした。
実は提案する前に自分でもいろいろと起業のタネを探していたんです。なかなか食べていけるアイデアが出なくて悩んでいました。父親からは「全権を渡すからやってみたらいい」と言われて。家業を手伝うにしても不安はありましたが、父が創業して培った土台がある分、今までのビジネスモデルに比べたら勝ち筋はあると認めてくれたことが最後の一押しになりました。
Q EC販売事業で家業に入って、他の従業員の反応や理解は。
A 売れるようになってから現場に入ったので、温かく理解もありました。
立ち上げ当初はテレワークで、ECの運用、WEBページや画像作成、商品撮影など全て1人で担当していました。商品の注文が入ったら会社にメールで送り、父が内容を現場に流すので従業員と話す機会があまりなかったんです。初年度に単月売り上げ1500万円まで伸ばした結果、スタッフが足りなくなって初めて現場に。売り上げの落ち込みで暇になった時期もあったので、現場でも「ちゃんと売っている事業」だと伝わっていたと思います。
肉の価値は「産地」ではない
Q 思いがけないところで、次の方向が見えてきたそうですね。
A 自分たちが結婚するタイミングで「肉のギフト問題」に直面したんです。
内祝いを贈る一消費者として、美味しい肉で喜んでほしいのに、肉のギフトと言えば、木箱や竹の皮の包装でおしゃれな感じがなく、賞味期限が短いし、冷凍であれば品質が下がる。そこをクリアするブランドがあれば、肉のギフトのニーズはあると強く感じました。EC販売事業を展開する中で、元を辿れば牛の血統は同じで味も変わらないのに、神戸牛や松坂牛などのブランド牛に比べて利益率の低さもずっと疑問でした。お客さんに提供する価値は「産地ではない」という思いもあって、自分で「新たな肉の価値」を作ろうと考えました。
Q 新たな事業を、あえて別会社で立ち上げた理由は。
A 将来的な事業承継を見据えて、自身でリスクを背負う形にしました。
資金面で言っても本当は家業の中でしたかった。でも新規事業は「食肉業界の常識を変える」というコンセプトで、初期のマーケティングコストもかかる。さらに賞味期限を伸ばし、旨味成分を向上するためにも多額の設備投資が必要で、全て回収できる保証はありませんでした。完全に別会社にしてダメなら辞める、伸ばせるのであれば相乗効果で両方を伸ばしていく形がスムーズだと思いました。
資金調達や資金繰りは、本来事業承継してから学んでいくものではないと考えていて、あらかじめ経験しておきたかったのもあります。父親が70歳まではやりたいと言い、当時で11~12年あって、そこからでは遅い。今挑戦したことを自分が承継したタイミングで活かせるようにしたいという想いもありました。
Q かなりいろんな想定をされていますね。
A けっこう石橋を叩いたほうだと思います。
ある程度資金調達の目処を立てて、事業計画もこれがダメならこの戦略でいく、これがダメならこっちに切り替えるというAパターン、Bパターン、Cパターンと作った上でようやくスタートしました。ただ業界の先人の意見はあまり聞いていなくて、逆に業界の先人が「あかん」と言ったら「多分ここにチャンスがあるな」と思うタイプ(笑)。SNS周りの運用方法などは、前職であるコンサルティング会社での経験が活きています。
明日も同じことをするのが一番のストレス
Q 新会社を立ち上げてからの家業との関わりは。
A 1年近く、日中は家業、夜は新会社の仕事という生活でした。
新会社のプロダクトもでき、お客さんもある程度ついてきて、もう少し注力したいというタイミングで「家業に通うのは一度ストップさせてほしい」と父親に言いました。今から2ヶ月前の話です。新会社で実行支援も出て「ここまで成長させます」と宣言しています。金融機関からも長く支援いただいていたので、その期待を裏切りたくない。自分を信じてくれる人には恩返しをしたいのに、片手間で事業をするのは失礼だと思いました。家業のEC販売の関連業務は業務委託という形で新会社に振ってもらって今も関わっています。
Q 常にストイックに行動されていますが。
A 大学時代にバックパッカーとして世界一周した時の経験が源泉です。
次の日に自分がどこにいるかもわからない、次の日に予定していたことができないなんて日常茶飯事という旅でした。臨機応変に対応していくスリルには中毒性があって。会社経営、特にベンチャー企業の立ち上げは、イレギュラーなことの連続で、明日会社がどうなっているかもわからないスリルがある。できないことができるようになる感覚も楽しんでいます。
今の環境に感謝しながら、自分のやり方で
Q 新会社に関するお父様の反応は。
A 口では「うまくはいかへんぞ」と言いつつ、かなり協力的です。
「自分の背中を見て育ってくれた」という喜びがあるのかもしれません。仕入れでもいろんな業者を紹介してくれています。家業とのパイプがあるだけで、新規取引先との交渉がやりやすく、金融機関からの見え方が変わるのも実感しています。アトツギの独立だからこその利点だと思います。
父親自身も新会社の事業に興味があるのか、遊びに来たがります(笑)。新商品や肉に合う自家製ソースなど試食コメントは辛口ですが、美味しい時は美味しいと言う。業界歴の長い人からの太鼓判は自信になるし、忖度なく言ってもらえる環境もありがたいと思います。
Q お父様は、価格交渉がとても上手だそうですね。
A その言い回しは学んでいますが、父親はいわゆる「人たらし」なんです。
自分は社交辞令もお世辞も言わないし、そういうのが苦手。父親のように上手な人づきあいで会社を伸ばしていくやり方は多分自分にはできないと思います。もちろん経営者として尊敬していて、父親に提言するにしても慎重に言葉を選ぶので、それゆえになかなか思ったことを言えないところも。正直に言うと、親子ゲンカは羨ましいです。
自分のやり方の強みと言えば、人を巻き込む力だと。「こいつと関わっていたら面白そう」とどれだけ思ってもらえるか。そのためにとにかく未来の話をします。夢を語って、今までにない価値観を提供する、ここに携わりたい人をどんどん生み出すようなことは意識しています。
Q 『第4回アトツギ甲子園』に出るきっかけは。
A 「自社の可能性が広がる」と言われたことです。
いろんなピッチ大会で「この事業は大きくならない」「スタートアップ的に成長しない」といったフィードバックを受けていました。それなら一旦事業で結果を出してからと思っていた時期に、信頼のおける人から連絡をもらって。「通常のピッチとは違うのかな」と出てみたら、本当にいろんな広がりができて、感謝しかないです。
関西予選の時は、仕事に穴を開けて行くことに父親も渋い顔をしていましたが、東京での決勝大会となると「行って来たらええやん」と一変。取引のある金融機関2社から「(優秀賞受賞を)広報誌に載せてもいいですか」と言われて驚きました。自分としても、社会におけるこのブランドの必要性、この事業が伸びたらどうなっていくのかというところをより突き詰めて考えるきっかけになったと思っています。
その時の最高が、未来の最高だとは思っていない
Q 主力商品である熟成肉の魅力は何でしょう。
A 焼き加減によらず、どの家庭でも美味しくできるところです。
立ち上げる前から、いろんな熟成設備を扱っているメーカーにサンプルを送って、仕上がりの香り、食感などを片っ端から試しました。さらに母校の大学で熟成肉の研究をしている農学部の先生にも仕上がりなどをフィードバックしてもらって、メーカーを決めました。そこからは自社でも開発を進めています。小手先ではなく、本当に自分たちがいいものを提供したいという想いがあったので、そこはブレることなくやっていこうと思っていました。
Q 今は「二段階熟成」にも取り組まれているそうですね。
A 日本酒や焼酎などに絡めながら熟成させる方法を試しています。
「今までにない最高のお肉体験を」というキャッチコピーのとおり、もっと美味しくなる体験や提案はできると思っています。後世と世界に誇る食肉文化を創っていくための取り組みを進めており、熟成の段階で新しいエッセンスを加えてみるとか、肉の熟成の様子を英語で説明して、海外に発信するようなことも考えています。
Q アトツギのみなさんへメッセージを。
A 何かを始める時に「できないこと」があるのは、環境のせいではなく、自分のせいだったりします。
家業と会社を並行してやっていく中で、家業の誰でもできる仕事を自分がやっているというストレスを感じていました。「なんで父親はこの状況をわかってくれないんだろう」と思って。それに耐えかねて、自分の会社に専念したいと話したら「なんでもっと早く言ってくれなかったんや」と言われました。そこで「相手がわかってくれないのではなく、自分がわかってもらえるように努力していなかった」と強く感じました。アトツギが新しいことを始めようとする時に、そういう障壁が一定数あると。人のせいにせずに、自分でできることを本当にやったのかを常に考えていく必要があると思います。
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(文・松本 理恵)