公益財団法人 大阪産業局

みんなで意見を出し合いながら楽しく働ける会社に(株式会社力興 代表取締役 瀧山 智子 氏)

 

2023年6月、伯父である先代社長の急逝に伴い、経営者としての引継ぎがほとんどない状態で社長に就任した瀧山氏。理屈が通らないことには納得がいかない性格で、21歳の時に入社してから、社内の納得がいかない点を少しずつ変えてきたが、社長に就任してからの1年は「死に物狂いだった」と振り返る。就任以来、工場内の整理整頓を進め、社員全員が意見を出し合える環境づくりを図りながら、より良い会社を築こうと奮闘している。

 

 

子供の頃から好きだった工場の匂い

Q どのようなものを作っているのでしょうか。

A 工業機器内の電線の端末加工を行っています。

創業時は、エアコンや炊飯器、電子レンジなどの白物家電の電線加工や、任天堂のゲームコントローラーのコードなども手がけていました。その後は、LEDや医療機器、半導体関連等の電線加工も手掛けるようになりました。

Q 家業について、どのように感じていましたか。

A 小さい頃から工場や電線の匂いが好きでした。

幼いころ、たまに父と一緒に工場へ遊びに行った時の、工場の匂いや電線の匂いが好きでした。その頃の私は、将来この仕事に就くとは想像もしていませんでした。17歳の時に前社長から声を掛けて貰い、力興の協力工場で働き始め、そこで4年間勤務した後、21歳の時に力興へ入社しました。

 

 

夢中になるほど仕事が楽しかったです。前社長のおかげで沢山のお客様と巡り合うことができました。問題を抱えたお客様が工場へ来られた時は、そこに同席する事も多々ありました。問題の原因を一緒に考えたり話し合うことで、様々な事を学ばせて頂いたと感じています。振り返って考えると、あの時の時間が私を大きく成長させてくれたと思います。

人を大事に 先代の思い

Q 先代はどのような方だったのでしょうか。

A 困っている人がいると助けてあげたい、という性分の人でした。

先代は、不義理することを嫌い、困っている人を放っておけない人でした。不景気により業界全体が落ち込んでいる時、自社が苦しくても困っている協力先へ寄り添っていました。その人柄から、多くの方に愛される凄い人でした。

 

 

かつて経営が厳しい時代に多くの従業員が解雇され、少人数で仕事を回していたそうです。当時の従業員は、納期を守る為に、残業代も出ない過酷な労働にも文句を言わず働いていたことを、辛い思い出として聞かせてくれました。

Q その話を聞いてどのように感じ、行動しましたか。

A 従業員の残業代を改善するところから始めました。

私が入社した当時は、人件費の支払い条件を一名の役員が独断で決めており、時間外の賃金は上がるどころか大幅に低く抑えられ、4万円以上は支払われませんでした。これで社内環境が良くなるわけありません。新しく人を採用しても長続きしないだろうと思い、私に役員就任の話が持ち掛けられたタイミングで、残業代の支払い条件の改善と、問題の役員1名の解任要求をしました。前社長は私の覚悟を理解してくれて、要求に応えてくれました。

 

 

さらに、それまでの人伝いの求人をやめて、チラシを使った求人に変えました。すると広告営業の方から「こんなブラックな内容では誰も働きに来てくれない」と指摘されました。そうした外部の人の声も参考にし、古い考え方を変えていきました。今から10年ほど前のことです。

また、肝心の業務については、ほとんどが紙に頼っていたため、非常に管理も甘い状態でした。そこでパソコンを徐々に導入して、少しずつシステム化を進めていきました。システム化にすればデータでの共有がしやすくなり、何より仕事の効率化を図れます。最初は従業員から大きな反発がありましたが、便利だと気付いてくれると、受け入れてもらえるものです。

 

コロナ禍で突然の社長就任

Q 社長に就任した経緯を教えてください。

A 前社長が急逝し、何の引継ぎもなく社長に就任しました。

前社長からはいずれ継いでほしいと言われ、「24年4月から3年をかけて経営を引き継いでいく」と言われていました。ところがそれを待たずに、2023年6月に交通事故によって急逝し、引継ぎが無いまま社長に就任しました。

社長に就任し、会計士の方や銀行の方に教わりながら、初めて会社の経営状態を把握しました。内容は非常に厳しいものでした。コロナ禍の影響で売り上げが下がっていた上に資材費が高騰していたことや、資材の入手もままならないために品物を納品できず、収益にもならないという悪循環に陥っていました。

同業者の中には、コロナ融資の返済が始まったために赤字でも値段を下げて仕事を取るところが増えていますが、今は苦しくともギリギリ耐える姿勢でいます。社長を引き継いでからは、まず足元を固め、既存のお客様としっかり向き合い信頼関係の継続を第一優先にしています。そして2年後に、経営が軌道に乗れば営業活動を始めようと決めました。

 

 

事業承継の苦労を乗り越えて

Q 事業承継で苦労したことがあれば教えてください。

A 大阪府事業承継・引継ぎ支援センターの仲介で、不安だった株の譲渡が円滑に実現しました。

前社長の葬儀当日に、会社の会計士の方が玄関先に来られ、6月末までに事業承継手続きが必要だとの事でした。「多岐に渡る登記を早急に済まさないといけません」と。それからは、前社長の娘さんも交えて全員がパニック状態でした。

 

 

株についても、全員知識がないものですから、顧問弁護士の先生に相談したり、娘さんと一緒に、弁護士の先生の紹介で大阪商工会議所の大阪府事業承継・引継ぎ支援センターの方にサポートをお願いしました。

担当者の方に、公平中立な立場で分かりやすくアドバイスしていただいたことで、円滑に株を移行することができました。

お世話になった顧問弁護士の先生や、大阪府事業承継・引継ぎ支援センターのご担当者様には、深く感謝しております。

みんなでアイデアを出し合いもっと良い会社へ

Q 事業承継後、どんなことに取り組んでいますか。

A みんながアイデアを出し合えるような環境づくりです。

まずは、工場の整理整頓を進めています。動きやすいように、作業がしやすいように、けがや事故のないように棚の配置や機械の位置を変え、使わない機械はすべて処分しました。毎週月曜日に全員を集めて朝礼もするようにしました。お客様が来られてパッと見た時に、「ああ、力興変わったな」と思ってもらえるくらいに変わりつつあります。みんなで丁寧に片付けや整理をすることで「仕事も同じように丁寧に、無駄なくすることが大事なんだ」ということを伝えています。

以前から会議は行われていましたが、正社員の参加がばらついており、テーマも曖昧でした。社長に就任してからは会議のテーマを事前に設定し、会議には正社員全員参加にしました。例えば不良率を減らすためにそれぞれの改善課題を話し合っています。全員で意見を出し合うことで、ムリ、ムラ、ムダをなくそうとしています。さまざまなアイデアをみんなで出し合い、全員でスキルアップできる会社づくりを心がけています。

 

 

Q 現場を拝見していると女性従業員が非常に多い会社ですね。

A 4人の役員はすべて女性です。

私が入社したころ、従業員30名のうち、男性は前社長を含む4名だけで、残りは全員女性でした。社長が何を言っても、女性たちは信念と強さで意見を跳ね返し、それが力興の強さの源となっていました。ただし、バランスも大切だと考え、この10年で数名の男性従業員を採用しました。世間では女性の社会進出が課題とされていますが、力興では女性が多いため、逆に男性が活躍できる環境づくりが課題だと感じています。

Q これからどのような会社にしていきたいですか。

A みんなが楽しく働ける会社に。

今年から徐々に仕事量が増えつつあることを実感しています。新しく2社と取引が始まりました。前社長からのつながりのおかげです。前社長が、築きあげてきたお客様や関連先様、従業員との信頼関係を、大切にし、みんなが楽しく働ける会社にしたいです。より良い明日のために、今日も力を興し続けます。

 

 

 

【取材協力】
株式会社力興
〒530-0046
大阪府大東市寺川3丁目11−11
HP:https://www.harness-maker.net/makers/3

(文・山口 裕史)

Copyright OSAKA BUSINESS DEVELOPMENT AGENCY all rights reserved.