1946年に谷元表具店として創業、ふすま、障子や引き戸などの建具を取り扱い「間仕切りによる空間価値の創造」を掲げる谷元フスマ工飾株式会社。近年、新築住宅の間取りから和室がなくなり、ふすま店が激減している。そのような状況のなか「逆に変わるチャンスだと感じる」と三代目で代表取締役 谷元氏は語る。既存の事業を主軸に置きつつ、ふすまのネット販売、和のアイテム開発など新たな事業を展開。自立性の高い組織のあり方、今求められる和室の価値など一つ一つ問い直して見えてきたものとは。
社会に出て気づいた“家業”という財産
Q 家業に入ったきっかけを教えてください。
A 企業で4年間働き、転職を考えた時に「谷元フスマだ!」と。
大学時代は弁護士を目指して法律の勉強をしていました。2回目の司法試験がダメだった時に「さすがに就職しなきゃ」とは思っても、家業を継ごうとは考えませんでした。卒業後、コンピューター関係の大手企業に採用され、東京でサラリーマン生活がスタート。官公庁営業という仕事に就き、おもしろかったのですが、自分には会社全体が見渡せる仕事の方が向いているのではと思うようになりました。その時に「谷元フスマだ!」と。それまで自分のやりたいことを尊重してくれていた両親も喜んでくれました。
Q 子どもの頃からふすまの仕事は身近に?
A 家業に入った時、ふすまのしくみや部品の名前も知りませんでした。
学生時代に数回アルバイトで手伝いに行った程度で、苦労や大変さを見ていたわけではありません。また、そういう時代だったと思うのですが、父親は猛烈に働いていて、日曜日も会社に行っていることが多く、普段は一緒に食卓を囲むことも少なかったように思います。例えばふすまが2枚入っていると、普通は右側が手前に入っています。着物の衿合わせや、使いやすさなど理由は諸説あるのですが、そんなことも知らない状態でのスタートでした。
Q 2008年に社長に就任されたそうですね。
A ふすまは張れませんが、現場の管理と営業は何とかできるようになった頃です。
うちの会社は、ふすまやものを作る工場の仕事と、建築現場の施工や建具工事の管理の仕事があります。営業は施工管理に付随する形で、私は作る方ではなく、3~4年は施工管理を担当していました。その後は、営業と経営に集中しています。今年80歳の父親もほぼ毎日会社に来て見積をしてくれています。家業に入るまでは経営の経験がなく、未知の世界。もちろんイメージ通りではなかったのですが、失敗しながらも臨機応変に一つ一つ覚えていっています。
工夫することで業界の常識を超える
Q 新たな事業に取り組むきっかけは?
A 人口減と、和室が減っていったことです。
祖父がふすま製造で創業し、父親の代にちょうど洋室が増えて建具を扱うようになりました。今、業界的にはかなり右肩下がりですが、和室のふすまだけを扱っている会社に比べると減少の幅は少ないと思います。ただ、ふすまは自社製造していますが、建具が一部外注なので、自社製造品が減ると当然粗利率は下がります。製造の社員を抱える以上は、自社製造品を増やしていきたいという想いがありました。
Q まず売り先を変えるということで、ネット販売を事業化されたそうですね。
A 一般的に、ふすまはネット販売に全く向かない商品です。
ふすまには企画寸法がありません。大工さんが枠を組み立てていくので、それぞれ微妙に寸法が違います。ふすま屋が必ずサイズを測ってオーダーメイドするのが基本。そこをどうしようかと考えた時に「お客さま自身に測ってもらって、取り付けもお客さまにしてもらえばいいんじゃない?」という発想で始めました。お客さまの計測ミスなどもゼロではありませんでしたが、注意書きなどの工夫を積み重ねてクリアしてきました。
Q 当時も今も、あまりないネットショップだそうですが。
A 誰も損しない仕組みだと思いました。
個人のふすま張り替え料金でいえば、モノ自体はそれほど高くない。そこで人件費を端折ったら、お客さんにとって金額的なメリットがあるし、私たちも現場に行かないので全く費用はかからない。製造現場では「お客さんの測った寸法なんかでよう作らん」という雰囲気がありましたが、課題を解決できたら必ずお客さんに喜ばれるという手ごたえはありました。「和室リフォーム本舗」の屋号で始めてもう10数年になりますが、売り上げは上がってきています。ふすまの枠でドアに変えられるオリジナル商品は、低コストで洋室にリフォームしたいという賃貸住宅のオーナーさんに好評です。
「居心地のいい職場」って何だろう
Q 新たに和のアイテムの商品企画や開発にも取り組まれていますね。
A 素案は自分で考えることもあり、最終的にはデザイナーが仕上げています。
これまでは外部のデザイナーに依頼していましたが、今年新入社員としてデザイナーが1人入りました。ふすま職人は布施工科高校との長年のつながりで毎年採用をしているなど、うちは若い世代が多い。そういう中で、会社として「人に優しく」というのを1つのテーマにしています。新入社員だけではなく、全ての社員同士、お客さまにはもちろん、仕入れ先や取引先の方に対しても優しくするということを心がけています。
Q 先代の時からのテーマだったのでしょうか?
A 社長になってまず「居心地のいい職場って何だろう」と考えました。
1日の中で起きている時間の半分が仕事。居心地が悪いと嫌じゃないですか(笑)。1人1人の社員が自分で考えて自分で行動できる会社は、やりがいがあったり、やる気が持てたりして居心地がいいだろうなと。もちろん指示してほしいタイプの人もいるので、経営者のわがままでもあります。
うちは先代まで社長にすべての情報が集まって、全員に指示を出して動くという中央集権的な会社でした。成長期である当時はそれが最も利益の出る形だったと思います。でも今は市場や環境が反転していて、1人1人が自分で考えて、決定し、行動しないと会社がうまくいかないし、働いてくれいるみんなも楽しくないだろうなと。そこで自律的に人が動けるための試行錯誤を重ねましたが、やはりそれまでの癖が抜けない部分も多かったんです。3年前から、自己申告型の人事給与制度を導入しています。
会社のためではない、自分たちのために
Q 自己申告型の人事給与制度の導入で変化は?
A まだ道半ばですが、部門長6人の意識はかなり変わりました。
この制度では、部門長がそれぞれの部門メンバーに面談をして、「自分は来年こういうことをするので、給与額はこれを希望します」といったことをまず聞きます。それを持ち寄り、私も入って他の部門の給与まで共有する。これまでのように社長だけでなく、部門長もメンバー全員の給与を知る立場になります。そうすることで社長や会長の指示を受ける感じが強かった部門長が、私と同じ立ち位置から社員を見てくれるようになりました。
Q 仕事を「自分ごと」にするための取り組みは他にも?
A 会社全体で業務改善やMQ会計の研修をしています。
「経営者として考える経理」をみんなで勉強することで「この経費が下がれば、ここの利益が増えて、この粗利から自分たちの給与が出てくる」などの理解が少しずつ浸透してきていると思います。業務改善や効率を上げる意味も明確になり、自己申告でも会社の利益と給与が全て自分の中でつながった上での発言になる。そういうことで少しずつ自律的な会社につながっていくように感じています。
「変わったことをしてる」と言われてきたけれど
Q 新しい企画の発案は主に社長から?
A 基本的にはそうですが、実務は従業員に任せる方がうまくいく気がします。
私が「面白いことを思いついた」と言うと、苦々しい顔をする社員がたくさんいて、「今聞きたくないです」と言われたり(笑)。どこまで自分が全面的にやるかということはいつも難しいです。ネットショップでいえば最初は自分がして、すぐに社員に任せていますし、和のインテリアを提案する「waccara(ワッカラ)」というブランドに関しても、今は一緒に入っていますが、なるべく任せていこうと考えています。やはりみんなが自分ごとにしてほしいので。そのうちに「こんな事業でうまくいけば、めちゃ給料上がるやん」と誰かが言い出してくれるんじゃないかと思っています。
Q アイデアを出すのは元々得意だったのでしょうか?
A 子どもの頃から何か企画を考えるのは好きでした。
東京にも事務所があるので月1回くらい新幹線で移動するのですが、大阪~東京の2時間半でアイデア出しをすることが多いです。ネットサーフィンをしたり、雑誌を見たりして、その中で気になったものと、今まで自分が覚えているもの、蓄積しているものとがつながってアイデアになることが多い。常にいろんなものをメモや写真などでストックしていて、どこかで何かが引き出されるようなイメージです。きちんと考えて出そうとするので、「ひらめく」とは少し違うかもしれません。
Q アトツギならではの苦労や葛藤は?
A 新たにやりたいことと既存事業のバランス、みんなが悩むと思います。
既存事業とかけ離れたことをされる方、がっつりと既存事業に沿ったことをされる方、いろんなタイプの方がおられます。業界の中では「変わったことをしている」と言われてきましたが、既存事業に沿ってある程度ブラッシュアップする中で、加えて新しいことをやろうという意識が強くて。引き継いでいるものなので、自分の想いや考えだけで、全く新しい方向に走るようなことはできなかった。うちの場合は既存事業がまだまだ手堅い環境でもあったので、経営資源としても活かすほうが強いと思いました。でもそのバランス、さじ加減に正解はないような気がします。
どんな状況でも、できることが必ずある
Q 今、関西にふすま屋さんは何社くらいありますか?
A ピーク時に20数社あったふすま屋が、8社まで減りました。
もはや競争している業界ではありません。全国襖工業会という組織でも、「ふすまをなくさないためにどうするか」の話し合いをしています。個人向けではなく、インバウンドの方向けのホテルや商業施設、海外にも業界全体が目を向ける必要がある。会社としてもホテルやレストラン向けの切り口で動いていますし、業界としてもパリでふすまの展示する計画があって一緒にさせてもらっています。外国人にもその価値を再発見してもらいたい、というくらいに切羽詰まっています。
Q この状況をどう捉えていますか?
A ピンチだけれど、ようやくふすまを変えていくチャンスが来たと。
最近、モダンな和風のホテルがかなり増えています。海外の方も意識して、例えば畳敷きでベッドやソファーが置いてあったりしますが、それでいいと思います。昔ながらの和室にこだわらず、和の空間として変化しながら残っていけばいい。ストレス社会の中では、狭くてもいいので和室を「心をおだやかにする空間」として作った方が、今の暮らしに合う気もします。ふすまがその空間の役割をどう担うのかも含めて、和空間のあり方から事業化していくつもりです。建具の分野でもアイデア次第でできることが多くあると考えています。
Q これからアトツギになる方へメッセージを。
A 正解はないので「やってみたらええやん」と思います。
これから継ごうかどうか悩む人は、もしかすると新しいことができるイメージがわかないのかもしれません。でも絶対に新しいことをやれる余地はあるんです。もちろんまず目の前にある土台、会社が動いている原動力を学んだり、いろんなことを習得したりする必要はあります。その上であれば、自分が本当にやりたいことは何でもできる。新しいことをやりたくなければしなくてもいい。正解を求められるわけではないので、迷っている人には「とにかく継いでみたらええやん」と声をかけたいです。
【取材協力】
谷元フスマ工飾株式会社
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(文・松本 理恵)